嘘だろッ!4 嘘だろッ目次

 
「「課長、お呼びですか?」
 
 ブレイクタイムが終わり、着替えたシャツで課に戻ると課長から呼び出された。

「久野、私に報告することがあるんじゃないのか?」
 
 四〇代の課長だが、営業第二課の課長はその辺の部署の課長とはかなり違っている。
 何が違うって、もちろん容姿だ。疲れた中年男ではない。
 誂(あつら)えたスーツに高級ブランドのネクタイ、イタリア製の靴、そして、それに見合う整った顔。
 髪型一つとっても、適当に床屋で刈ってもらっているのではない。
 美容室でさりげなく流行を取り入れながら、自分に一番似合う型で仕上げてもらっている。

「ないと、思いますが」
「本当にか?」
 
 女殺しのと呼ばれる目で睨まれた。
 俺も何故かマダムキラーと呼ばれるが、課長の場合は女なら幼児から老齢のご婦人まで、その目一つでコロッと欺される、イヤ、惹かれてしまうという、まさに『女殺し』の眼差しなのだ。が、それは所詮
(いわゆる)、女相手のみで、その目で睨まれると、背筋が凍るっていうのが、男性部下一般の意見だ。
 俺の背中にも、ぞくりと悪寒が走った。

「はい。ないで…す、じゃなかったっ! ありました。あります、課長!」
「だろ? 早く言って見ろ」
「住む所、決まりました! 一課の吉田のいとこの所です。あ、そういえば、まだ人事と総務にも住所知らせてなかった」
「吉田? 吉田中か? ははぁん、そういうことか…それでか…」
 
 何かを一人で納得しているようだ。

「俺はまた、お前の希望かと思ったが。俺に内緒で工作したのかと思っていたが」
 
 工作って、小学生じゃあるまいし。

「何も作ってませんが」
「久野、お前、いいのは顔だけだよな。少しは頭使えよ? 顔のいいだけのアホはそのうち飽きられるから」
「課長! あんまりですよ、それ」
「そうか? お前、自分が顔以外に何か取り柄あると思うか?」
 
 それを言ったらお終
(しま)いでしょう!
 さっき、吉田にも言われたばかりだっていうのに、今日は厄日か。厄日はあの火事だけで十分だっていうんだ。
 言われなくても、自分の社での役割・存在価値は重々承知してるっていうんだよ。
 東洋コーポレーション。
 羽毛布団の製造販売と宝石の加工販売が軸の会社だ。
 就職活動では散々な結果で、ここが最後の綱だった。
 吉田と二人で受けた会社だが、面接したその場で二人とも内定をもらった。その時からして、おかしかったのだ。普通の面接ではなかった。やたら、面接官のスキンシップを受けたのだ。顔中心に。
 名前を呼ばれ、挨拶をし、椅子に腰掛ける迄は、それまでに落とされた会社と同じだった。

「君、眼鏡を取ってくれたまえ」
 
 近眼の俺は大学時代ずっとセットで一万の眼鏡を掛けていた。
 それを外し膝の上に置くと、面接官の一人が側によってきた。
 顎を掴まれ、上や左右に顔を振られ、最後に頭の形を掌でチェックされた。
 面接官は席に戻るなり、自分の両隣と何やら小声で相談を始めた。

「おめでとう、えっと、久野拓巳君だっけ? 君、一応採用ということで。追って正式な通知を送らせて頂きます」
 
 まだ、ろくに自己紹介も質疑応答もしておらず、いきなり言い渡された採用内定に驚いた。

「…あり、がとうございますっ!」
 
 取り敢えず受かったことに俺は舞い上がってしまった。
 一緒に受けた吉田はというと、スキンシップはなかったらしいが、リンゴを一つ渡され、それを女性に十万円で売るにはどうすると訊かれ、リンゴ片手に褒め殺しトークを繰り広げたらしい。
 で、内定をやはりその場で言い渡されたらしい。
 二人で会社の門を出たときはお互いの採用内定の話に、「この会社、大丈夫か?」と不安になったが、それでも内定の喜びの方が大きく、二人で祝杯をあげた。
 俺たちの入社内定理由も配属先で直ぐに分かった。
 俺が配属されたここ営業第二課は、羽毛布団を卸している寝具店へ展示即売会の企画を持ち込み、実際の展示会での販売の手伝いをする部署だ。
 俺は展示即売会でのメーカ側からの販売員という立場だ。
 扱っている羽毛布団は何十万もする高級品だ。
 富裕層や婚礼用だけの需要だけではなく、一般の方々にも営業を掛ける。
 じゃないと、そうそう数が出るものじゃない。
 布団を買うのは奥様方なのだが、これが吉田のいる第一課が扱っている宝石なら、向こうから人はやってくる。
 販売員の容姿はあまり関係ない。
 むしろ、営業トークが重要だ。
 しかし、高級布団はというと、そうはいかない。
 それで、第二課は年配の奥様方に可愛がられそうな『顔』を集めているのだ。
 まずはこちらが営業出来るだけの好意を相手に抱かせようということらしい。
 よって、第二課は社内では『通称イケメン課俗称ホスト課』と呼ばれている。
 しかし俺は、小中高大学と、全く女にはもてなかったんだが…、と鏡を見ながらいつも思う。
 確かに母親よりも上の年代には可愛がってはもらったけど。デート代を割り勘にするような男はもてないんだよ、と吉田には言われるが、それも一理あるのかもしれない。

「課長、俺には羽毛布団の知識もあります! そりゃ、採用理由は人事から課長からも耳にタコができるほど、聞かされましたけど」
「まあいい。お前の希望じゃないなら。俺はお前を手放すつもりはないから。まだまだその顔で数字に貢献してもらうつもりだ」
「顔でって…、頑張ります。先程からの俺の希望って何ですか? 話が見えないのですが」 
 
 課長一人で納得されても、俺はそもそも何故呼び出されたんだ? 住居が決まった件じゃ無かったようだし…

「一課がお前を欲しがっている。人事にまで要望を出しているそうだ。てっきりお前がここがイヤで吉田のところに行きたいのかと思っていたが、違うならいい」
 
 何故一課が俺を欲しがるんだろ。さっき吉田も何も言ってなかったし。宝石なんて、俺には無理だよ。ダイヤと真珠の見分けが付くぐらいの知識しかないのに…移動なんて、嫌だ。
 第一、俺はそこまで口が上手いタイプじゃない。一課で成績を上げるなんて、無理に決まっている。
 俺はココが好きなんだ!
 顔云々じゃなく、羽毛布団を俺は愛しているんだっ!

「お前、無意識だと思うがその縋(すが)るような目は男相手にどうかと思うぞ?」
「課長っ、何を言ってるんですかっ!」
「はは、まあいい。その顔はお仕事用にとっておけ。おば様方か二丁目付近だと受けるからな。悪いが俺には効かない」
「当たり前です! 何で俺が課長に縋るんですか…あ、イヤ、縋らないと。課長〜、俺、ずっと二課に置いて下さい。お願いします」 
 
 ここはきちんと頼むべきところだよな、と頭を深々と下げた。
 住み家がやっと定まったばかりで、職場の環境が変わるのは落ち着かない。

「だから、久野は顔だけだって言うんだ。さっきから俺の話を聞いてなかったのか? お前を手放すつもりはないと言っただろ。どこから出た話かも検討はついた。まあ、新しい生活、せいぜい頑張ってくれ。展示会と重なってないときは特別に休暇を取ってもいいから。うん、そうだ。それがいい」
 
 目の前で課長一人、また何やら自己解決している。

「…あのう、課長?」
「久野、営業は数字が全てだ。出勤日数じゃない。人事には内密にしててやるから、体調が悪いときは休め。腰が怠いときは遠慮するな。新居での生活を充実させろ。そうすれば、多分移動の話は消える。お前を一課になんぞにとられて数字が減るぐらいなら、お前が腰の痛みに耐えればいいんだ。よし、これで解決だ。後で引っ越し祝いを買ってやるからな」
 
 俺に腰痛はあっただろうか? 
 記憶違いでなければ、あるのは肩凝りぐらいなのだが?
 吉田といい、課長といい、今日はやけに身体の心配される日だ。火事のショックで体調不良と思われているのだろうか?

「引っ越しといっても、焼け出されて荷物ありませんでしたし、火事の見舞いはもう頂いてますから、どうぞお気遣いなく」
「なあに、気にするな。安価な傷用の塗り薬だ。それで、頑張ってくれ。お前はこの課の期待の星なんだから」
 
 さっきまで、散々顔だけと言ってたくせに期待の星って、吉田みたいなこと言われてもなぁ。
 裂傷用の薬で頑張れって…本当に今日は変な日だ。
 この時はまだ、二人の言動の奥に潜む共通点の意味を俺は分かっていなかった。  

 
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