嘘だろッ!3 嘘だろッ目次 |
「よ、拓巳。新生活はどう? 腰、大丈夫か」 バンと背中を叩かれ、口に含んだコーヒーを吹き出してしまった。 「バカッ、あ〜あ、シャツに染みが出来たじゃねえかよ」 「ワリィ。替えのシャツ貸そうか?」 「いい。俺も替シャツ、ロッカーに置いてある。それより、引っ越し荷物がある訳じゃないのに、腰にくるわけないだろ」 いや、そういうことじゃ、と吉田が口籠もりながら、ハンカチを差し出した。 遠慮なく手にも飛んだコーヒーと、拭いても意味なさそうなシャツの染みに、ハンカチを当てた。 「別にどうってことない。まだ一日目だし、お互い様子伺っている感じかな。夕飯はカレーだったし、風呂も広めで快適だった。お前の置いていったベッドもセミダブルで寝心地よかったし、ぐっすり眠れたよ。しかも起きたら朝食が用意されていて、久しぶりに菓子パン以外の朝飯食った」 「それだけか?」 怪訝そうな顔付きで吉田が訊いてきた。 「そうだけど?」 大家と合わないんじゃないかと心配してくれてたのか? 自分でも上手くやっていけるのか不安だったし、最初は緊張するのかと思っていたが、そんなこともなかった。 焼け出された俺の荷物はと言えば、出張の際、提げていたボストンバッグ一つ。 火事が普通勤務の日でなくて助かった点は、必要最低限の生活道具がバッグの中に入っていたということだ。 バッグ一つで、大家、天道寺と一緒に向かったマンションは、想像していたより良かった。 「そこが、中(あたる)が使っていた部屋だから。掃除はしてあります。クローゼットはそこで、布団は無いだろうから、ちょっと待ってて…」 天道寺がビニールの袋(ケース)に入った羽毛布団と枕をどこからか持ってきた。 「これ、うちの社で扱っている布団…」 「久野君は、布団には煩いというか、詳しいって中(あたる)が言ってたけど、自社製品じゃ文句ないですよね?」 「ハンガリー産ホワイトグース九五%、超長綿のホワイトドリームじゃないですか。これ、新品でしょ? 良いんですか? 社販でも一五万はするんですけど…これ、吉田から買わされたとか?」 「客は呼ばないけど、一応客用にね。それ、そんなにするの? 中がタダでくれたんだけど。放置してたから、遠慮無くどうぞ」 遠慮無くって、本当に良いのだろうか? 俺が布団に煩いのは営業の時だけで、実際アパートで使ってたのは、ディスカウントショップで買ったセットで四千五百円の化繊綿の布団なのだが。折角の好意だし… 「あの、使わせて頂きます。羽毛布団用のカバーありますか」 さすがにカバー無しでは使えないだろう。 俺、涎垂れるし。 天道寺がカバーを探して来てくれた。 「羽毛布団用が無かったので、これ使って。ずれるだろうからピンも持ってきた」 「駄目ですっ!」 天道寺が持ってきたのは、一体誰が使うのだろうかという古いタイプの布団カバーで、羽毛布団用の紐がなく、布団ピンで四隅を留めるタイプだった。未使用で今袋から出してきたという状態だった。それに、布団ピンの代わりに安全ピン四つ。 「駄目って、何が? カバーこれじゃ、気に入らない?」 「いえ、ピンです。あのですね、天道寺さん、羽毛布団というのは………」 羽毛布団に穴は大敵なのだ。 安全ピンを見た途端、俺の営業スイッチが入ってしまい、今日から世話になるという大家でシェアメイトの天道寺相手に延々と羽毛布団の特徴・取り扱い・種類を語ってしまった。 終(しま)いには借りたばかりの羽毛布団をケースから出し、ベッドに広げ、高級品はここが違うと生地を引っ張り、デモンストレーションまで始めてしまった。 そんな俺に、天道寺は「ふ〜ん、そうなんだ」「へえ、勉強になる」「中(あたる)は何も教えてくれなかったよ」と、相の手を入れ付き合ってくれた。俺の営業はご婦人にしか受けないのかと思っていたが、男相手でもいけるかもと、自信が持てたほどだ。 長々と布団を挟んで二人で(というか、俺の独演会だったが)話したおかげで、天道寺に対する気負いはなくなった。 「ううん、拓巳はやはり女相手だと思うよ。普通はその顔、男には反感買うって。宗兄は、自分に自信があるから、拓巳の顔にも反感持たないだろうけど。お前はやっぱり、営業第二課、通称イケメン課俗称ホスト課の期待の星ってことで、これからも、頑張れっ」 俺の話を聞いていた吉田が、俺には顔しかないみたいに言い放った。 「なんで、新生活の話が俺の顔の話になるんだよ」 「何いってんだよ。この不景気に二人で此所(ここ)入社できたのは、お前のその自覚無いオバサンキラーな顔立ちと、俺のオバサン持ち上げ話術のおかげだろう。仕事の話はいいとして、新生活何かあったら、相談ぐらいは乗るからよう、遠慮なく言ってくれ。あ、金の相談以外で頼むわ。いい薬とか知ってるし……」 「薬? 胃薬か? ストレスの心配ないと思うけど。天道寺さん、いい人じゃん。お前より頼りになりそうだし、食事上手いし、気が利くし」 「は、は、は。良かった良かった…。気に入ってもらって良かったよ。さ、行くか。拓巳もシャツ着替えて仕事、戻れ」 何故か吉田中の目が俺を憐(あわ)れんでいるように見えるのだが。 火事でアパートが全焼するのを見ていたときよりも、憐れみの眼差しを向けられているような気がする。 気のせいだよな…、うん、気のせいだ。 |