嘘だろッ!37 嘘だろッ目次


「ちっとも上達しないな…。食えないこともないが、何かが足りん」
 
 全部の皿を平らげた人間の言うことだろうか? 
 せめて、『ご馳走さま』ぐらい言えないものかと、目の前の中年男を見て思う。
 社から戻り、風呂の掃除と洗濯物の取り込み、アイロン掛けをし、課長の寝室のシーツを替え、料理本見ながら、慣れない夕飯作りに掛かること一時間半。
 正直クタクタだ。会社での仕事より疲れる。
 ムカツクのが、やってて当たり前の課長の態度。
 一時間半も掛かった料理を、この中年男は一〇分もかけずに腹に収めるのだ。

「ちゃんと、レシピ通り作ってます」
「わかった。俺に対する愛情が入ってないんだ。お前、イヤイヤ作っているだろ」
「…俺だって頑張ってやってるんです。課長は上司ですし、部屋を借りている身ですから、ちゃんと心を込めて作っています」

 嘘だけど…。本当はしたくない…。
 自分だけなら、スーパーのお総菜をテレビ見ながら、のんびりダラダラ食べたい…。
 せめて、食後の後片付けぐらいやってくれてもいいのに……ああ…やはり、あそこは天国だった……一部の事を除けば。
 あいつの料理が美味しかったのは、上手ということだけじゃなく、課長じゃないけど、愛情があったんじゃないのかなぁ。
 俺にっていうよりは、自分の料理を口にする人間に対しての。

「お前、営業のくせに、嘘付くの下手だな。心にもないことを言うと黒目が泳ぐ。顔に『やりたくないのに、この横暴な上司にやらされてます』って書いてあるぞ。お茶」

 クソッ。わかってて、愛情どうとか言うなよ。

「はい、どうぞ」
「お茶だけは、飲める。ところで、お前、アレ、飲んだか?目の下、隈あるぞ。飲んでないなら、今すぐ飲め。あまり遅くなると、目が冴えるかもしれないから、早めに飲んでおけ。明日は何と言っても金糸堂だ。ツルツルピカピカの肌で出向け」
「ツルツルピカピカって、どこかのハゲ親父じゃないですか…。課長こそ、明日は久しぶりの現場でしょ。飲まなくていいんですか?」
「俺は、大人の色気で売ってるんだ。二十代の若造じゃあるまいし、ツルツルお肌〜って、ガラか、アホ。さっさ、飲め。まさか、捨ててはないだろうな?」

 ギロッと睨まれた。慌てて、取りに行った。
 鞄の中に入れっぱなしで、課長から話をふられるまで、存在を忘れていた。

「これ、本当に効くんですか?」
「行きつけの漢方薬局の親父お勧めのドリンクだ。結構な値だ。全部飲め。効き始めると、身体の芯から温かくなるそうだ」
『そうだ』って、伝聞じゃないかよ。課長自分が飲んだことないものを俺に飲ませるのか?
「早く飲め。飲んだら、ここ片付けて、サッサと風呂に入ってクソして寝ろ」
「俺が先に入っていいんですか?」
「ああ。俺は今からジムで汗流してくる」 

 まさか…天道寺の所って言うんじゃ…
 だったら、どうだって言うんだっ!
 関係ないっ。

「じゃあ、お湯は落としてもいいですか?」
「構わん。戸締まりはちゃんとしとけよ」  

 鬼の居ぬ間に命の洗濯だと思うことにしよう。行き先を詮索する権利はないし。
 一番湯にゆっくり入れるなんて、天国じゃないか。できれば、俺が就寝するまで、帰って来ないでくれ〜。
 課長がいなければ、用事を言いつけられることもないわけで、課長の留守は歓迎すべきことなのだ。
 手に握っている、瓶の蓋を開ける。途端、漢方独特の匂いがダイニングに充満した。

「凄い匂いだ。久野、早く飲め。お茶が不味くなる」

 自分が命じておいて、酷い言い草だ。この課長の自分勝手な言動には、毎度のことながらムカツク。
 そして、このドリンクが…匂いの酷さを遥かに超えた恐ろしい味で…一瓶飲む干すと、今度は胃がムカツイタ…勘弁してくれよ。
 俺が流しを片付けている間に課長はジムへと出掛けていった。

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