嘘だろッ!27 嘘だろッ目次


「久野君、本当に出て行くのですか?」

 ボストンバックを持った俺に天道寺が念を押す。

「…はい。お世話になりました。家賃はあとでお支払いします」

 吉田に預けることも出来ないから、また此所に来ないといけない。憂鬱だ。

「家賃は幾らだ?」

 課長が訊いてきた。

「二万です」

 額を聞いた課長が、胸から財布を取り出し、万札を二枚テーブルに散らした。

「立て替えておく。これで、綺麗サッパリだ」 

 終わったんだ。これで終わったんだ。
 ここでの暮らしも、天道寺との関係も終わったんだ。
 縁切りとなる二万円から目が離せない。

「…そうですね。久野君、俺を見てくれませんか? 一度も目を合わせてくれませんが、最後ぐらいはいいでしょ?」

 天道寺の声が震えている。彼にも言い分があるのだろうか。いい訳をしてくれるのだろうか? 

「…お世話に…なりました」

 顔をあげ、天道寺を見た。
 天道寺の初めて見せる顔―怒りと哀しみと諦めが混ざったような顔に、俺が酷いことをしているような気になる。

「不快な事は忘れればいい。いい訳はしません。中(あたる)と金銭のやり取りがあったことは事実ですから。短い間でしたが、楽しかったです。さようなら」

 切られた…。天道寺から切られた…、違う、俺から天道寺を切ったんだ。
 俺は何を期待していたんだ?
 悪かった、という謝罪か。それとも、引き留めて欲しかったのか? 

「ほら、久野、行くぞ」
「…はい」

 天道寺に頭を軽く下げ、一歩、二歩、と天道寺に背を向け、歩き出す。

「久野、待て。最後に面白い物を見せてやろう」

 後ろを振り返ると、俺のすぐ背後にいたはずの課長が、天道寺の真横に移動していた。

「お前の経験したことなど、大した意味はない」

 課長が、天道寺の後頭部に手を置くと、天道寺の顔を自分に引き寄せ…

「っん!」

 有無を言わさず、天道寺の口に自分の口を合わせた…キスを始めたのだ。
 最初だけ、目を剥いていた天道寺も直ぐに課長に応え、二人して激しく貪り付くようなキスをしだした。
 まるで、俺に見せつけるように、時折、唾液の音まで聞こえてくる。
 舌の動きまでも感じ取れてしまう激しさだ。
 天道寺が俺には見せたことのないような、恍惚とした表情を浮かべている。
 仲が悪かったんじゃないのか?
 課長は、ホモじゃないだろ? 
 俺より身長が高く、種類の違う迫力をもった二人のキスシーンに、驚愕なのか、ショックだったのか、俺は動けず見入ってしまった。

「…はぁあ、このバカ真司」
「堪能させてもらった」 

 いやらしく光る唾液の糸を渡らせて、二人は顔を離した。

「真司、ここまでしますか」
「ああ、するね。分かったか、久野。別に大したことじゃない。ちょっとした接触は、遊びを知っている男なら気軽にできるんだ」
「そうですね。気持ちいいことに男女差はありませんから。前に言った通りです。久野君じゃなくても、誰とでも同じです」

 何が言いたいんだ?
 俺とは特別じゃなかったってことを、念を押されているんだよな?
 課長まで一緒になって……

「さ、今度こそ、本当に行くぞ。長居は無用だ」

 良かったじゃないか。
 誰でもできる、誰とでもできる、気軽なことなんだよ。
 深刻に被害者面する必要もないんだよ。
 課長とだって、あんな顔してキスできるぐらい、天道寺には軽いことだったんだ。
 そうだよ、そうだよ、最初から言ってたじゃないか。快楽なんて、ただの快楽なんだ。
 それ以上でもそれ以下でもないんだよ…ないんだ…
 立ち竦む俺の背中をバンと課長が叩く。我に返って慌て歩き出した。
 もう、天道寺を振り返ることはない。天道寺が見送りに出る気配もなかった。
 バタンとドアが閉まる。
 終わった…。
 俺はもう天道寺の餌じゃない…
 ボストンバックを握りしめ、速歩(はやあし)で前を進む課長を追った。


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