嘘だろッ!23 嘘だろッ目次 |
地下からエントランスホールと抜け、そこで初めて遅刻に気付き、動揺する気持ちを抑え、二課に駆け足で向かった。 「申し訳ございません。遅れました…」 入口で頭を下げ、中に入った。 「…お早う、ございます…久野さん?」 内勤の女子社員と、営業へ出てない社員数人が奇異なものを見るような視線を向けた。 奥に座っている課長が、唖然としている。 「…久野…」 俺の名前を口にした課長が、そのまま口を開けたまま、数秒固まっていた。 洗練された男の代名詞のような課長のアホ面を俺は初めて目にした。 そこまで、俺の遅刻に呆れているということだろうか? 「課長、遅れまして、本当に申し訳なく思っております」 固まる課長の横まで行き、俺は深々と頭を下げた。 「ちょっと、こっちこい!」 鞄を自分のデスクに置く前に、課長から会議室に連行された。 「お前、自分が今どんな姿しているのか、分かっているのか?」 これで確認しろ、と課長愛用のコンパクトを手渡られた。 手にしていた荷物を全て会議室の机の上に置き、コンパクトを覗き込んだ。 そこに映し出された自分の顔といったら…あまりの状態に仰天した。 「この二課は、見栄えがいいのが売りだ。お前も知っているよな?」 「…酷い…顔…」 「全くだ。まだ女子社員がその状態なら、同情の余地もあるが。水分ズルズルの顔で、入って来やがって」 地下から、二課に辿り着くまでの間、俺は涙を流していたらしい。 余りある憤りで、自分が泣いていた事に気付いていなかった。 しかも、涙だけなら、まだ何とか見られる顔だが、鼻水まで垂れていた。 自分の顔の汚さを自覚後、皮膚の上を滑る涙と鼻水の気持ち悪い感触が実感できた。 「返さなくてもいいから、これ使え」 課長がハンカチを貸してくれた。遠慮なく使用させてもらった。 「そんな顔で、しかもネクタイをどうしてしてない。シャツのボタンは中途半端に外しているし、首もとから、キスマーク、じゃ、なかった、ダニの痕が見えてるぞ。折角塗ってやったファンデーション、拭き取ったのか? その顔で、そのダラしない姿だと、」 はぁ、と一回課長が間をあける。 「レイプされました、と言っているみたいだ。吉田に何かされたのか?」 『レイプ』という性犯罪を表す言葉で、身体の関係を持ってしまった天道寺を思いだし、『吉田』という言葉で抑え込んでいた感情が込み上げてくる。 「何があった。言ってみろ」 「…課長ぅううううっ!」 人に縋って泣きたいと思ったのは初めてかもしれない。イヤ、人じゃなくても、熊でもパンダでも何でも良かった。 目の前にあり、温度があるものなら何でも良かった。今は、それが課長だった。 「俺、どうしたらいいのかっ…分かりませんッ………」 売られていたことが分かった以上、売った吉田同様、買った天道寺にも怒りを感じていた。 天道寺の俺の間にあった身体の関係が酷く穢(けが)らわしい行為だったと思えるのだ。 もう、天道寺の側にはいたくない。顔を合わせたくなかった。 「久野、俺に話せないなら、力にはなってやれないぞ?」 「…そんなっ…課長ぅう〜、課長から見放されたら、俺、どうしたらいいんですかっ!」 「だったら、どうして吉田と消えたお前がそんなグズグズになっているのか話せ。理由がわからなければ対処のしようがないだろ。だから、久野は顔だけだっていうんだ。もっとも今は、その顔すらないのも同然の有様だけどな」 「…課長、酷いッ…顔もないって…」 「ウザイ。いい加減にしろ」 理由も言わず、泣き続ける俺に課長も少し苛ついているようだ。 「もういい、帰れ。そんな状態じゃ仕事にならん。お前は大家のところで、大家の手伝いをしてればいい」 「……帰れません…もう、俺…、あそこに居られないんですっ! 手伝いも出来ませんッ…うわあああっ!」 止めどなく流れる涙と鼻水を、俺は無意識に、課長の上着に擦り付けていた。 |