嘘だろッ!20 嘘だろッ目次

 
「久野君、私の顔に何か付いてます?」
「…いえ…何も…」
 
 天道寺がフォークに刺したフォアグラを口に運ぶ度に、俺の視線が天道寺の口元に行く。

「どうです? フォアグラのお味は?」
「大変美味しいです。家で高級食材が食べられるなんて、夢みたいです」
 
 家でなくても、まだ人生で口にしたことは二回だけだ。
 会社員になってから、接待で行った高級レストランで口にした二回だけだ。
 自腹で口にできる食材ではない。

「夢だなんて、大げさですよ。食材がいいと、ソテーだけでも十分いけますよね」
 
 パクッとまた天道寺の口にベージュのファアグラが運ばれる。
 油が唇にテカリを与え、天道寺の口元がやけに艶めかしい。
 今までだって一緒に食事をしてきたのに、唇が気になるのはまだ俺が天道寺の唇の感触を覚えているからだろう。
 風呂場でシャワーを浴びながら入れた気合いは何だったのだろう。
 天道寺はいつもと変わらない態度だ。
 俺も意識するのは止めようと思っていたのに、何でもないぞ、と思い込もうとすればするほど、目が勝手に天道寺を追う。
 天道寺が食事を準備する間、俺は自室に戻り、昨日の展示会の売り上げを報告書にまとめた。
 出社しなくてもいいと言われても、出来る範囲のことはしておかないと、社会人として駄目だろう。
 もう少しで給料も入るので、買い物リストも作った。
 足りない必需品とまだ無くても間がいくものを分け、リストアップした。
 家賃を引き、使える金額を弾き、そして燃えてしまった三百万円を再度貯め込むべきタンス貯金計画表も作った。
 そうしている間は、自分の事だけに没頭していたせいか、天道寺の事が頭から離れていた。
 だが食事になった途端、浴室での自己分析がいかに無駄だったかを思い知らされる結果となった。

「ファアグラって、肉屋さんで入手できるのですか?」
「普通はないでしょうね。これはレストランに卸している肉屋からわけて頂いているんです。缶詰はデパ地下で扱っているところもありますが」
「こんな高価なもの、食費も払っていないのに、頂くの申し訳ないです」
「そうですか? それ相応の手伝いをして貰っていると思っていますが?」
 
 天道寺の言葉で咽(む)せた。と同時に、アノ快感がコレに変わったのか? と不思議な気持ちになった。
 プラマイゼロじゃなくて、プラスプラスじゃないんだろうか? 会社を休ませたことを申し訳ないと思っているのだろうか? 
 また、フォアグラが天道寺の口に運ばれる。
 今度は俺の大事なところをパクッと喰われた時のことが思い出され、食事中なのに、いらぬ熱が身体の一部に籠もった。

「久野君? チラチラ見ないで、ジッと見てもらっても構いませんよ。チラッ、チラッって上目使いで見られるのも可愛くていいですけど、食事中なので出来れば、ジッと見てもらった方が食べやすいです」
 
 気づかれていたっ!

「スミマセンッ! 見ませんから」
 
 ふふ、と天道寺が笑う。

見ても構いませんから。俺の事が気になるのでしょう? 隠しても駄目ですよ。多少君より長く生きてますから、久野君の意識がどこを向いているかぐらいは分かります。俺でしょ?」 
 
 指摘されて顔中、イヤ体中が赤くなったと思うほど恥ずかしい。

「知らなかった快感を与えた俺が、気になってしょうがないってところでしょうか? さっきも恥ずかしいって言ってたし。タダのその辺に転がっている少し顔がいいだけの男ですよ」
「…俺、ゲイじゃないのに…変ですよね」
「普通の処理以上に感じてしまったから、俺から吹き込まれた以上に良かったから、久野君の身体が…」
 
 フォークとナイフを置き、天道寺が唇に付いた油をナプキンで拭う。

「俺の身体が?」
「俺に恋しちゃったんじゃないですか?」
「は?」
 
 今、コイツ、恋って言った…よな?

「恋です。俺にというのは語弊があるかもしれませんけど。俺の身体に、久野君の身体が一目惚れに近い状態だと確信してます」
「俺はゲイじゃないッ!」
 
 テーブルにバンッと手をつき、立ち上がった。

「久野君、落ち着いて。誰も君が俺に恋したとは言ってないでしょ。君の身体が俺の身体を気に入ってしまったんですよ。違いますか? 嫌いなら、そこまで俺を意識しませんよ。今日のことだって、誘ったのは俺だと言い切れますか? 本当は挿れてほしかったんでしょ?」
 
 違うっ、違わないけど、違う! 
 駄目だ、認めちゃ、駄目だ。

「…誘ってない」
 
 さっきの勢いは何処に行ったんだというぐらい、俺の声には張りがなかった。

「性欲処理でもセックスでも俺は構いません」
 
 天道寺も席を立つ。そしてゆっくりと俺の方に近づいて来る。

「俺のココと、」
 
 天道寺がエプロンの上から胸に手を当てる。

「久野君のココが、」
 
 空いている手を俺の胸の上に置いた。

「恋していなくても、身体同士は求め合っているのではないですか? 昨夜、風呂場で俺が言ったとおり、俺たちは恋人同士ではないので、セックスと思う必要はないかもしれません。性欲処理でもいいですよ。でも、セックスも所詮、セックスです。別に久野君が俺を求めてもらったからといって、それで久野君がゲイだというつもりはありません」
 
 天道寺の手が今度は俺の顎を掴む。

「口を開けて」
 
 激しい視線が俺の目を捉えて、俺が目を反らすことを許さない。
 そして、命じられることに抵抗が出来なかった。

「そう、いい子です」
 
 天道寺が、俺の皿の上にあったフォアグラの一部を指で掬いあげると俺の口の中に突っ込んできた。

「舌で絡め取って食べて下さい」
 
 天道寺の指が俺の舌を押さえつけ、感触を楽しんでいる。 
 その指に付いているフォアグラを俺の舌が擦り取る。

「いい動きしますね」
 
 俺の舌で遊ぶように天道寺が指を動かす。
 ただの指のはずなのに、官能的な動きに感じるのは何故だ? 指に絡めた舌が外せない。
 背筋にゾクゾクと覚えのある震えが走る。

「もう目が潤んできた。久野君は隠し事できないタイプです。鏡でその顔見せてあげたい。俺の目に映る自分の顔が見えますか?」
 
 見えるわけない。
 自分が天道寺の瞳に映っているのはわかるが、表情までは分からない。

「口の中を俺の指が犯すだけで、ココも変化しているでしょ?」
 
 天道寺が俺の腰に自分の腰を密着させた。

「ほら、思った通りだ」
 
 芯を持ち始めていた俺の一物を確認すると、天道寺が勝利者の笑みを洩らした。

「君の身体は俺を受け入れるし、俺から愛されたい、犯されたいと思ってるのですよ。だから、身体だけの恋をしましょう。俺の一方的な処理で犯されるより、君もその方が楽しめますよ。自分から俺を求めたくないですか?」
 
 天道寺の指が止まる。指ですらもっと、と思ってしまう俺は、もう、天道寺の言うように欲していると認めるしかないのか?

「恋という言葉に抵抗があるなら、」
 
 顎を掴んでたいた方の手が皮膚を滑り降りていく。
 自分が付けた噛み跡で止まると、痛みを思い出させるように歯形の鬱血痕に圧を掛けてきた。

「いっそ、餌になってしまいなさい」
 
 やはり、天道寺は悪魔だと思った。
 『餌』という言葉が甘美な響きで思考を犯す。

「自ら自分を差し出す自虐的な餌になってしまいなさい。捕食されてしまいなさい。食べて欲しいところを俺に差し出せばいい」
 
 指が口から抜かれた。天道寺が俺の耳に口元を持って行くと、小さく囁いた。

「拓巳、拓巳は俺の餌になるのです」
 
 初めて呼ばれた名前が耳に谺(こだま)する。
 悪魔の呪文に俺の身体から力が抜けた。
 ガクッと膝からも力が抜け、身体がぐらついた。
 咄嗟に天道寺の腕に支えられ、ハッと見上げると悪魔の瞳が俺を捉えていた。

「…拓巳…、今日から俺の大事な餌ですね…可愛がってあげますよ…骨の髄まで…息が出来なくなるくらい……痛みさえも甘美な悦びに変えてあげます…」
 
 ふふふ、と捕食者は笑みを浮かべ俺の唇を自分の唇で塞いだ。
 契約の儀式のように、官能的なキスを施され、気が付けばダイニングの床に転がされていた。

…もう、抵抗は止めよう…
…どんなに否定しても身体が求め、反応することを誤魔化せない……


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