嘘だろッ!調教編20 嘘だろッ目次


 無言。
 天道寺が俺を見ることなくも進んでいく。
 腕を掴む指の強さに天道寺の機嫌の悪さが表れている。

「…ごめんんさい、…天道寺さん」
「今は何も聞きたくありません。一秒でも早く、獣のいる建物から出るの先です。あの男の菌に空気感染したくないですから」

 ――菌って…身も蓋もない嫌われ方だ。
 それが俺でなくて良かった。
 などと悠長に思っている暇はなかった。
 通りすがりの社員達は、デザイナー吹雪先生が切羽詰まったような顔で社員を引っ張って足早に歩いている姿に、圧倒されている。
 エントランスホールでは、受付嬢達の好奇心旺盛の視線が飛んできた。
 天道寺はそんな視線などお構いなしだ。
 きっといろんな噂話がこの後飛び交うだろう。
 だが、知るものか。
 今の俺の一大事は天道寺といかに向き合うかだ。

「早く乗りなさい」 

 会社を出ると天道寺が客待ちしていたタクシーに俺を押し込んだ。
 それから自分も乗ると行き先を告げる。
 そして、また無言。
 嫌な空気だった。
 ドライバーがチラチラとバッグミラー越しに俺達を見ている。
 早く目的にに着けばいいのに、こういう時に限って赤信号に何度も引っ掛かる。
 気まずさに耐えきれなくて、携帯でも弄ってようかとポケットを探る。
 
 ――ない… そっか、携帯は課長が持っていたズボンのポケットだ。
 ――あれ? じゃあ、このズボンは…

「あ!」

 大事なことを忘れていた!

「どうしました?」 

 天道寺が冷ややかに俺を見た。

「運転手さん、戻って下さい!」
「え?」
「戻る必要はありません。このまま進んで下さい」
「戻って下さい!」
「進んで下さい」
「お客さん、どちらか決めて下さい」

 ドライバーが困っている。
 面倒な客を乗せたと後悔しているだろう。

「天道寺、携帯を貸してくれ。頼む。今すぐ中に連絡させてくれ。話さえできたら戻らなくてもいいから! お願い! この通りです!」

 天道寺に縋るようにして、頭を下げた。

「後輩の人生が掛かってるんだ! 俺のせいで迷惑掛けてるんだよ。お願い!」
「立つ鳥後を濁さず、ってことですか」
「そうだよ!」

 ここは肯定してはいけなかったと後で思い知らされるが、この時は目先のことしか考える余裕がなかった。

「仕方ないですね。少し待ちなさい」

 天道寺が携帯を取り出すと、中の番号を呼び出してから俺に渡した。

「お客さん、行き先は変更無しでいいんですか?」
「はい。このまま行って下さい」

 タクシーが引き返すことはなかった。

「もしもし、俺だ」
『――拓巳? 宗兄からだと思って緊張したじゃん。どうした?』
「どうしたじゃないだろ。村上どうなった?」
『あ、忘れてた』
「俺、アイツのズボンを借りたままなんだ。あいつ、まだ会議室で転がっているんじゃないのか?」
『だろうな』
「代わりの服用意してやってくれよ。あのままじゃ会議室から出られない。あと、俺の鞄…届けてもらえると…」
『俺が? 面倒くせ〜』
「村上に罪はないだろ」
『俺だって罪はないぜ』
「中…俺の記憶が正しければ、お前は俺の友人だったよな?」
 
 ちょっと貸しなさい、と天道寺が携帯を俺から取り上げた。

「拓巳の頼みを訊いてやらないと、デザイン渡しませんよ。いいんですか? そうですか。物わかりのいい従兄弟で助かりました。では、あとの処理は全てあなたがやってくれるんですね」
 
 俺に携帯が戻ってくることなかった。

「中は…なんて?」

 確認しなくても会話の流れで分かっていたが、一応訊いてみた。

「拓巳の頼みを全てきくそうです。これであの会社に、拓巳が気に留めるような問題はありませんね」
「…はい」
 
 そこで会話は途切れた。

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