人間未満 7人間未満目次


 『気持ちわるくて、あいつと友達なんかやってられるかよ』
 
 暗闇の中、頭に隆司の言葉が谺する。
 その声から逃れようと目を開けようとすると、瞼が上下引っ付いてしまって開かない。
 泣きすぎて目脂(めやに)が糊になったしまったようだ。
 痛みを堪えてゆっくり瞼を動かすと、部屋にはもう男の姿はなかった。
 何時だろうと、ベッドパネルの時計を見る為に身体を動かすと、下半身に激痛が走った。 
 
 男なのに喪失だな…
 
 はははと自嘲してしまう。
 笑いながら緩みきった涙腺からポタリと雫が溢れた。
 パネルのデジタル時計は朝の五時過ぎを表示していた。 
 辛い身体を無理矢理起こし、バスルームへ向かった。
 バスルームの壁に手を付き、頭から熱めの湯をかぶる。 
 ヌルッとした感触のものが、太腿を伝わり落ちた。
 その白濁色のものを見た時、千明は自分が『穢(けが)れた』と感じた。 
 


 家に帰ると、待ちかまえていた母親からこっぴどく叱られた。
 外泊するならするで連絡をしなさいと、平手が飛んできた。
 朝になっても帰って来ないなら警察に届けるつもりだったらしい。
 疲れた様子の千明に、母親は平手一つで取り敢えずは解放してくれた。
 無事ならいいわと、母親は千明を残して会社へと出掛けた。
 千明は母親と二人で暮らしている。
 家庭より仕事のキャリアウーマンの母親に父親が愛想を尽かして出て行った。
 父親とはもう八年会ってはいない。 
 自分は父親に捨てられたんだと千明は思っている。
 それは多分正解だろう。
 サバサバした性格の母親が、もし父親が千明に会いたいと申し出たなら、会わせないはずがない。
 自分から会いたいと言える子ではなかったので、父親が会いに来てくれるのを離婚後数年は待っていた。
 しかし一度も接触を持とうとはしてくれなかった。
 誕生日にカードやプレゼントさえ届かない。
 いつしか、千明の中で父親は自分には最初からいない存在になっていた。
 母親が出掛け、一人残された千明は用意されていた朝食はとらず、学校へ行く準備をした。
 土曜日で学校は本来休みだが、特進クラスで下の方に位置する者は課外授業があるのだ。
 下着とシャツを着替え、鞄の中身を入れ替えた。  
 携帯と財布を確認する。
 財布が重く感じられるのは、あの男のせいだ。
 シャワーを浴び制服に着替えようとすると、シャツのポケットに一万円札三枚とメモが突っ込まれていた。

 【ホテル代とタクシー代に】
 
 確かにホテル代は自分で払えないが、三万はタクシー代を入れても多いと思った。
 自分に三万円の価値があるとは思えない。だが三万で自分を売ったと思うと少ない気もした。
 ホテル代とタクシー代を使ってもまだ一万以上残っていた。
 紙幣だが、重く感じた。
 財布の重みが「これでお前は隆司とは終わりだ」と告げているようだった。

  …隆司の顔見る勇気ない…、
  会いたくなんかない……忘れて見せる……

  自分に言い訊かせるように呟いて、腫れぼったい目と痛みで歩行もやっとの下半身を引き摺って、学校へと向かった。


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