人間未満 53人間未満目次

 
「…ここだ…。この中に千明がいる…、千明っ! 俺だッ!」
 
 カードを通さなければ開かないドアが、それ以上の隆司の侵入を許さなかった。

「千明っ、いるんだろっ! 千明、千明――」
 
 雅紀の話で自分が千明を追い詰めたことは隆司にも嫌というほど分かっていた。酷い仕打ちをしてきた。
 このまま、謝ることも出来ずに千明と別れがきたらどうしようと、隆司は不安で、名前を呼び続けた。

「…隆司…君…?」
 
 開かずの扉が開いた。
 中から千明の母親が出てきた。
 げっそりとやつれている。

「おばさんっ、千明は! 千明は大丈夫なのか? 千明はっ!」
 
 訊ねる隆司に千明の母親が掴みかかる。

「どういうことなの? ねえ、何で千明は、自殺をしようとしたの? 隆司君が原因なの? そうなんでしょ? 私が知らないと思っているの……うわああああっ……」
 
 そのまま、泣き崩れた。

「…千明が、何をしたっていうのっ! 何で、苦しめるの……あの子はずっと……ずっと……ずっと…隆司君が」
 
 そう、千明の母親は気づいていた。
 自分の息子が親友に恋情を抱いて苦しんでいることを知っていたのだ。
 普段仕事ばかりで、構ってあげられてない負い目から、息子のちょっとした変化も見逃さないようにしていた。
 女の子の話題はしないが、隆司のことはよく話題にしていた。 
 隆司に彼女が出来る度に、そのことをぼやいていたが、その表情に嫉妬が含まれていることも女親の鋭い勘で見抜いていた。
 自分の勘に確信を持ったのは、息子の自慰行為中の声を聴いてしまった時だった。
 仕事で帰りが遅くなった日、起こさないように足音を立てずに息子の部屋の横を通り過ぎようとした時だった。
 漏れ聞こえる怪しい声で、何をしているかはピンと来た。 
 年頃の息子が自分に隠れて下着を洗うことは健康なことだと思っていたのだが、実際現場に遭遇すると、女親としては複雑な気持ちだった。
 それでも、ここは知らん顔だと思った時、『隆司…あっ…』と、息子が親友の名前を口にした。
 衝撃だった。
 自分の息子が同性を好きだということが紛れもない真実だったと知り、自分を責めた。自分が仕事を選んだから、息子から父親を奪う形になり、身近な女がこんな母親だから、同性に惹かれるのではないだろうかと思った。
 そして、千明が不憫だった。
 自分の息子が頑張って進学校に入ったのも、その中でも特進クラスに籍をおけるよう、勉強しているのも、全て隆司の為だと判ってしまった。
 報われない恋をしているのだと、母親は一途なわが子が哀れだった。
 だけど、そんな素振りを千明に見せたことはない。
 だが、密かに心配はしていたのだ。
 ここ数ヶ月、千明が悩み、何らかの出来事が千明に起こっていることは気づいていた。
 夜遅くなることも多かったし、外泊も増えた。
 しかし、遅くなるときは、大概隆司の父親から連絡があったので、隆司と一緒だとこの母親は思っていた
 実は雅紀と一緒だったのだが、そのことだけは知らなかった。

「――おばさん、知ってたんだ……、俺、酷いこと……。でも、知らなかったんだ……千明が俺のこと……」
「…あの子は、一言、『隆司…ごめん』って、途切れる意識で呟いたのよっ」
 
 隆司の胸を握り拳で叩きながら、彼女は隆司を責めた。 
 その様子で、千明が予断を許さない状態だということを隆司は察した。
 開かずの扉が再び開いた。

「お母さん、来て下さい。容体が急変しました。さ、早く」
 
 サッと立ち上がると千明の母親は涙を拭い、向きを変えた。

「君は、誰? 許可なくここへは入れません!」
 
 千明の母親が中に入ろうとした時、隆司も一緒に入ろうとしたのだ。

「俺にも会わせて下さい! 側に行かせて下さいっ!」
「だから、あなたは誰?」
 
 看護師が怪訝そうな顔で隆司を見る。

「その子も、一緒にっ!」
 
 千明の母親が隆司の腕を中に引き寄せた。
 殺気迫る形相に、看護師はもう止めなかった。

「…ちあき? ……嘘だろ…」
 
 白い陶器のような顔色で目を閉じている千明がそこにはいた。
 今日学校で別れてから、まだ四時間しか経ってなかった。
 『…あの…』と、声を掛けてきた時の、言葉に詰まった千明の顔が脳裏に浮かぶ。
 あの時、自分が千明へ絶望の宣告をしたのだと、隆司は身体も心も張り裂けそうだった。

「血圧が下がってます。心拍も低下です!」
 
 千明の身体に取り囲むように、様々な医療器具が置かれていた。
 モニター画面の折れ線グラフを見ながら、医師に伝えていた。
 折れ線グラフが真っ直ぐな横棒になったら終わりだと、隆司にも理解できた。
 母親はハンカチを握りしめ、千明、千明と叫んでいた。 
 千明の周りはスタッフが囲んでおり、隆司はその後ろからしか千明の様子を伺うことができなかった。
 かなり緊迫していた。

「あれぐらいの失血でここまで酷くなることは珍しい…生きることを拒否しているみたいだ…自ら命を絶とうとしたのだから当然か…」
 
 失血量と容体の悪さが比例してないというのだ。
 自ら心臓を止めようとしているような千明の身体に、医師の一人がポツリ呟いた。

「心停止です」
 
 …そんな…、馬鹿な……
 …そんなこと、認めない……

 千明を取り囲んでいた医療スタッフを押し退け、隆司は千明の側に行き、覆い被さるように横たわる千明に抱きついた。


ちあきぃ――…… ! 俺を置いて逝くなっ、戻ってこい、千明っ、俺のところに戻ってこいっ! お前は必要なんだっ、ずっと必要なんだ………好きなんだよ―――……っ!」

 


 一つの季節が終わろうとしていた……
 


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