人間未満 54(終)人間未満目次

 
 粉雪が舞うクリスマス直前の日曜日、隆司は墓地に来ていた。

「ここのはずなんだが……」
 
 盆でも彼岸でもない時期の墓地に人はまばらで、どんよりした雪雲が、寂しさを誘った。

「こんな所、一人で来るってのも、あ〜あ、…しょうがないか……」
 
 ブツブツ文句を垂れながら、墓地の一角のベンチに腰を降ろした。
 当たり前だが、見渡す限り、墓石が並んでいる。

「墓石の下っていうのも、一人じゃ寂しいんだろうな……第一、この時期は寒いんじゃないのか? やはり入るときは二人一緒がイイなぁあ…」
 
 隆司がダウンジャケットのポケットから煙草を取りだし咥えた。
 火は…確か…、こっちのポケットに百円ライターが…
 ライターを探し、モソモソやっていると、口に咥えた煙草が誰かの手によって引き抜かれた。

「お客さん、禁煙ですよ」
「アホなこと言うな、墓地で禁煙もなにもあるか。煙草の煙も線香の煙も大差ないぜ」 

 ライター探しを諦めた隆司の手が声の主の腕を掴むと、その身体を座っている自分にグッと引き寄せた。

「…遅かったな…口寂しいだろ…」
 
 煙草代わりだ、と意地悪く呟くと煙草を取り上げた人間の唇に自分の唇を重ねた。
 外気で冷たくなっていた唇同士が、すぐに熱を帯びる。
 軽く触れるだけのつもりだったが、一人待たされていた時の孤独感が一気に満たされていく感じに、隆司の中で雄の本能が目覚めようとしていた。
 段々激しくなり、貪るように、相手の口内を蹂躙しかけたとき…

「…ス、トップッ!」
 
 胸を手で突っ張られ、光る糸を結んで唇が離ればなれになる。

「…隆司、場所考えろっ」
「待たせたヤツが悪い………」
 
 立っている相手を少し低い位置から見上げる隆司の眼差しは優しく、愛おしさで潤んでいた。

「…ゴメン…」
「……千明…、お帰り…か? 変か……」
「変じゃない…と思う。只今、隆司」
 
 生還した千明が立っていた。
 
 

 あの時、一度停止した心臓が隆司の告白に応えるようにドクッ、ドクッと動き出した。
 除細動器を手にした医師の出番はなかった。
 意識が戻ったのはそれから二日後だった。
 千明が眠りから覚めた時、そこには隆司の顔があった。
 学校にも行かず、家にも着替えに帰るのみで、千明の側を離れない隆司に、千明の母親は、これじゃ私の出番は無いわね、と仕事に戻った。
 隆司がいれば、自分の息子は元気になると確信してのことだ。

「…隆司がいる…隆司…」
「このバカが。どれだけ心配したと思ってるんだ? おかげでまたリサに振られたじゃないか…」
 
 リサ…ああ、リサは妊娠してたんだ…
 眠りから覚めたのは間違いだったと千明が泣きそうになった。

「こらっ、変なこと考えるんじゃないぞ。リサの子どもは俺の子じゃない。そして、俺の好きなのもリサじゃない」
 
 リサの妊娠に隆司が係わってないと知り、やはり涙が溜まってくる。もちろん嬉しくてだ。

「…ホモ嫌いなのは…俺が男を好きになれる人間だからだ。恐かったんだ…親父と同じ種類の人間だというのも嫌だった…。自分は違うって否定しないと…崩れそうだったんだ…だから…女の子とばかりヤッてた…だけどな、千明。もう駄目だ。お前が消えてしまうと思ったら、もうホモとかゲイとかどうでもよくなった」
「…それって…隆司…」
「千明が好きだ」
 
 ベッドの上の千明の目からは枕に向かって幾筋もの涙の川が走る。

「…嘘だ…そんなはずない。隆司は俺に同情してるんだ…こんなこと、したから…だから、好きでもないのに、嘘言ってるんだ」
「違うっ! 同情でも嘘でもない。俺なんだ…俺が悪いんだ…ずっと千明を縛ってたんだよ。前に千明が言っただろ? 『お前が優しいから、友達の域越えて甘えていた』って。俺が千明にそうなるよう仕向けてたんだ。俺しか見えなくなるように、俺だけを頼るように…独占欲で千明を縛ってたんだよ。自分は好き勝手女とヤリながら、千明が自分から離れるのが嫌だったんだ。認めたくなかったんだ、好きだからそうしてたってこと。親父に言われたよ。ざまあねぇよな。そんなんだから、親父に千明盗られたんだよ。しかもそれに腹立てて、酷いこと………」
 
 隆司の目からも涙が溢れ出した。
 隆司の泣き顔を見たことがあっただろうか? 千明は隆司の後悔を感じた。
 千明がベッドの上から無傷の右手を隆司の濡れた頬に這わせた。

「…呼ばれたの、気のせいじゃなかったんだ……もう、楽になろうと思った時、隆司の声が聞こえた。俺の名前叫んでた。俺を必要って言ってくれた……夢じゃなかったんだ……良かった……また会えて良かった…良かった……」 
「許してくれ。千明、俺を許してくれ」
「何で謝るんだよ。バカなことしでかしたの、俺なのに……俺、汚れちゃったけど、いいの?はは、しかも、マジ、傷物だ」
 
 左手首の包帯を隆司に見せる。

「親父のことも、謝る。話は訊いた。俺のことがあって、千明がその……。辛い想いさせてしまった……」
「…本当に、いいの…俺、男だよ…俺たち同性愛になってしまうよ?」
 
 くどい、という言葉の代わりに、隆司は千明の唇を塞いだ。
 初めてのキスは、涙と鼻水で塩辛い味だった。

「……隆司…」
「千明、早く元気になれ。元気になったら、初デートだ」 
 
 こくりと千明は頷き、二人揃って更に泣き続けた。



「それにしても、初デートが墓地とはな。もっと他にあるだろうが。遊園地とか映画とかゲーセンとか」
 
 退院した千明とやっと外で会えるというのに、千明にねだられた場所が墓地だったのだ。 
 もう残り少ない二学期は、自宅静養ということで休学扱いになった。
 学校には家庭内での事故ということで、自殺の件は伏せてはいるが、多分皆知っているだろう。
 だが、千明はそんなことを気にしてはいない。
 自分が手に入れたモノの大きさからすれば、そんなことは微々たるものだと、腹を括っていた。 
 教師の嫌味にも耐える覚悟はできている。 
 きっと何があっても、隆司さえ側にいてくれさえすれば乗り越えられると千明は確信している。
 そう、隆司さえいれば…

「看護師さんが教えてくれたんだ。ここでデートした恋人同士は、墓の下まで一緒にいられるらしいよ。隆司は俺とずっと一緒は嫌なのか?」
「ったく、看護しないで何を千明に吹き込んでいるんだよ、最近の看護師は」
「隆司、オッサンみたい…。でも、いいじゃない、ここ。なんだか落ち着く」  
「座れよ、千明」
 
 自分の隣に座るように、隆司が千明を促す。

「落ち着くって、お前なぁ、一歩間違えばお前がここの住人だったかもしれないんだぞ? 俺はお前が眠っている墓に来るなんて嫌だからな」
「ゴメン…」
 
 横に座った千明の方に隆司が腕を回す。

「見られるよ、隆司」
「さっきもキスしたぜ。これぐらいどうっことない。しかも、ここ、人間少なすぎだろ。見るとしても、霊ぐらいじゃねえか?」
 
 あれだけホモ嫌いを公言していた人間とは思えない隆司の変貌ぶりが、千明には嬉しくて顔が自然ににやけてしまう。
 回された腕に身体を預けて首を隆司の肩に寄せた。

「あっ!」
「なんだよ、千明」
「さっきの答え聞いてなかった。一緒は嫌なのかよ。できたら墓の下も一緒がいい」
「そんなこと答えるまでもないだろう? 一緒に決まっている。だがよ、それには問題がある」
「問題?」
「俺と一緒の墓ということは、親父とも一緒かもしれないってことだろ?」
「…雅紀さん……」
「千明、未練あるとか言うなよ。俺が凹むから」
 
 雅紀はとうとう一度も見舞いに来なかった。どうしているんだろう。
 尋常じゃない関係だっというのに、恨んではいない。苦しい自分を救ってくれてたと、千明は思う。
 そんな胸の裡を隆司に知られると怒られそうなので、千明は雅紀については自分からは何も言わなかった。

「ま、俺長男じゃないし、墓は別にしてもらおう。つうか、これ、プロポーズみたいだ。同じ墓に入ってくれませんか?って」
 
 二人して吹き出してしまった。

「俺が嫁にいくみたいな話になってないか? 隆司が嫁でもいいんだぜ?」
「それは勘弁してくれ…千明が俺を?」
「隆司、今、変なこと考えただろ? そういう意味じゃないのに…でも、それもいいかもな…試す?」
「ち、あき、本気か? 俺、経験ないぞ……そっちは……」
「バカっ、冗談だよ」
「お前が変なこと言うから…」
 
 隆司が千明の手を自分の股間に持っていく。

「こんなこと、なっちゃいました」
 
 千明の手に堅くなったものが触れた。布越しでも、脈打つのが判る。

「隆司、これ…」
「メイクラブしようぜ。交尾じゃなくて、メイクラブ。爆発する前に出発だ! いざホテルへ」 
 
 隆司は立ち上がると、千明の手を握り歩きだした。
 墓地を出て郊外にぽつんと一軒だけ建っている古いタイプのラブホテルを見つけると、千明の意向も聞かないで、中へずんずんと入っていった。

 部屋へ入るまでは勢いがあった隆司だったが、いざベッドに上がると照れ臭く、甘い言葉が出てこない。
 出てこない言葉を待つつもりはないらしく、隆司は直ぐに行動に出た。
 千明の身体から衣類を全部取ると、自分も裸になった。

「痩せたな…もう少し太れよ」
「人を裸に剥いて、いうことそれだけかよ」
「えっと…」
「好きだ、隆司…」
 
 千明の方に、照れも気負いもなかった。

「がりがりで悪いけど、隆司が欲しい……」
「千明…好きだ…」
 
 それから先は言葉は必要なかった。
 千明は身体を隆司に預け、隆司は自分よりも千明を優先で、口から胸から局部まで愛撫を施していった。
 正直、最初は、好き勝手してきた身体なのに、隆司はどこを触れば千明が悦ぶのかも分からなかった。
 しかし、憎悪ではなく二人の間に愛情と欲情が込み上げる今、「どこ」という場所は関係なかった。

「ぁあっ、」
 
 千明の身体が反応で示してくれる。千明の身体が隆司の動きを導いた。
 穏やかで緩やかで、千明優先の隆司の愛撫に、雅紀との関係や、便所として隆司に突っ込まれていた時に感じていた突然の強い刺激はなく、徐々に身体が開かれる心地良い快感に千明は酔っていた。
 欲望だけが行き交うセックスとの違いに、エンドレスに続いて欲しいと思った。
 隆司との初めての心を伴った営みに、生きていて良かったと胸が熱くなり、込み上げてくる幸福感に目が潤んだ。

「挿れるぞ…」
 
 初めて隆司に丁寧に解され、弱いところも暴かれた。

「隆司っ、あぁあっ、隆司…」
 
 ゆっくりと侵入する隆司の雄を自分の身体が飲み込もうと蠢(うごめ)くのを千明は感じた。

「千明…こうして抱きたかった…千明っ、…凄い…千明の中、…俺の放さない…」
「…あぁあ、隆司ッ…好きっ…、隆司、を、感じる……俺っ、おれっ…」
 
 墓地で隆司がいった言葉の意味を千明は身体で感じていた。それは言った隆司本人も同じだった。
 子作りの為でも性欲を吐き出す為でもなく、愛を感じ、与え、悦びを二人で紡いでいく行為…メイクラブそのものだった。
 隆司は今までのセックスがいかに稚拙だったか思い知らされ、千明は奴隷として強いられた行為がいかに肉欲だけだったか思い知らされていた。
 男の身体を知り尽くした雅紀と隆司とではテクニックでは雅紀が上だ。
 だけど、作り出される快感と充実感には雲泥の差があった。

「…隆司、一緒に…イきたい…からっ、根元握って……」
「…ああ…一緒にイこう……」
 
 先に爆ぜそうな千明の陰茎の根元を隆司が握る。
 隆司が腰の動きを速め、そして数秒後、二人一緒に爆ぜた。



「千明、親父から、これ」
 
 千明が、ではなく、隆司の腰がふらふらになるまで二人は何度も交わった。
 覚えたての猿みたいと、二人で笑ったぐらいだ。
 千明と隆司は互いの体温が気持ち良くて、シャワーも浴びず、裸のままベッドの上で身体を寄せ合っていた。
 突然思い出したように隆司が腕をベッドの下に伸ばした。
 ベッドの下に散らばった上着のポケットから器用に小さなメモを取り出すと、千明に渡した。 

『千明、元気になったそうだね。心配してたよ。君、奴隷失格だから。今度は隆司の奴隷にでもなったらいい。君が望むなら、隆司をご主人さまに躾けてあげるよう。そうそう、今度会うときは、隆司の父親としてだから、『おじさん』と、呼ぶように』
 
 雅紀の優しさが溢れた文面だった。
 最初の出会いからして最悪だったが、雅紀を利用していたのは結局自分のほうだった。
 雅紀に逃げることで救われていた。
 今思えば、雅紀に酷いことをされながらも、雅紀の温もりに縋っていたのは、父親を求めていたのかも知れないと、千明は思う。

「何、泣きそうな顔してんだよ。妬けるだろ。貸せよ」
 
 隆司がメモを取り上げ、中身を確認した。

「何が、ご主人さまだよ。たく、我が親ながら、あの変態ぶりには呆れる。でも、千明がそういうの、好きなら俺、がんばるけど?」
「うん、頑張って」
「えっ?」
 
 否定されると思っていた隆司は、予想外の答えに戸惑いを隠せない。

「って、冗談だけど。でも、隆司になら俺何されてもいいんだ…これだけはホント。年を重ねた隆司が雅紀さん、じゃあなかった、おじさんみたいに変態になっても、俺、それに付き合うから」
「ひでぇな…。俺が変態って…まあ、そういうのって、遺伝子レベルで決まるならあり得るけど」
 
 あるある、と千明が頷き、隆司が膨れ、そして二人一緒に吹き出した。
 千明と隆司の恋は、やっと、スタートラインに立ったのだった。

             

「隆司、携帯が鳴ってる」
「メールだ。いいよ、ほっとけ。もう少し、こうしていよう」

『約束のお礼をしてもらうよ。杉村』
 
 高級マンションのリビングで夜景を見ながら、一人の男が携帯片手に笑みを浮かべていた。
 友人も無事退院したみたいだし、彼にも心の余裕ができた頃だろう。
 可愛い子羊は自分が子羊だってことに気が付いてないみたいだ。
 食べ頃を逃さず、私が頂いてあげよう…

 ブルッと、隆司の背中に悪寒が走った。

「隆司、どうした?」
「なんでもない。千明。朝まで抱き合っていようぜ…温かい…」
「うん…」

                 終

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