人間未満 49人間未満目次

 
 昨夜から、雅紀は千明と連絡が取れないでいた。
 千明が自分からの電話、メールを無視することは、関係を持ってから一度もなかった。
 千明と隆司の間に何かがあったのでは、と推測していた。
 奴隷として扱いながら、雅紀なりに千明を可愛がっていた。
 だから、自分の息子の千明に対する態度も、千明の隆司に対する想いも雅紀には面白くなかった。
 何があったのか気になり、雅紀は会社帰りに千明の家まで足を運んだ。
 雅紀が千明の家の近くまで来たとき、サイレンを鳴らす救急車とすれ違った。
 近くで事故でもあったのか? と、さほど気にも留めず歩いていくと、先程の救急車が止まっているのが見えた。

 千明の家?
 
 救急車が止まっている場所に、胸騒ぎを覚え、足早に救急車の所に向かった。
 近所の家からも、何事かと、様子を見に人が大勢出てきていた。遠巻きに救急車両を囲んでいる。

「千明っ、しっかりして、千明っ! 目を開けてっ! …バカなことを……千明ッ!」
「奥さん、邪魔です。まずは病院に急ぎましょう! さあ、乗って下さいっ」
 
 千明? 千明が?
 
 取り乱した母親が、救急隊員が運ぶ担架に縋っていた。 
 担架の上に乗せられていたのは、濡れた髪の青い顔の千明だった。
 『手首切ったらしい…』
 近所の野次馬が口々にどうした、こうしたと口を開いている。
 
 千明が、自殺を図った? 
 『奥さん、帰宅したら、風呂場が血の海だったらしい……』 
 
 何がそんなに千明を追い詰めた?
 隆司か?
 俺ではそこまであの子を追い詰めることは無理だ。
 俺はあの子の逃げ場だったんだから…隆司っ、あのバカッ、一体何をしでかしたんだッ。
 
 千明の安否が気になりながら、自分の息子に話を訊くことが先決だと雅紀は自宅へ戻った。
 帰宅すると、玄関に女性の靴があり、隆司の部屋からキャッ、キャッと笑い声が洩れていた。
 隆司が誰と付き合おうと、部屋へ誰を連れ込もうと、普段ならお小言をいうような雅紀ではなかった。
 しかし、今日は違った。
 楽しそうに談笑する声が耳に障った。

「隆司、悪いがお客さんに帰って頂きなさい」
 
 隆司の部屋へノックもせずにコート姿の雅紀が入り込んだ。

「いきなり、なんだよ。親父には関係ないだろっ!」
「ある。俺がこの家の主だ。お嬢さん、もう暗くなってきましたよ。お引き取り願いませんか?」
「それはないだろ。失礼なこと言うな。リサに謝れっ」
 
 突然現れた雅紀に、リサは『どういうことよ?』と隆司を睨んでいた。

「うるさいっ! たまには親の言うことを聞けっ!」
 
 普段大声を出さない雅紀の怒鳴り声に、隆司は驚き、反論するのも忘れてしまった。
 驚いたのはリサも同じで、居心地が悪いのか「ねえ、」と脇腹をツツいてきた。
 「悪いが帰ってくれ」と隆司がリサを追い出した。
 リサが居なくなると雅紀が隆司の頬を殴った。

「何すんだよっ! 俺に暴力振るうのか? 俺はお前の奴隷じゃないっ! 相手が違うだろっ、相手がっ!」
「そうだな。違うな相手が。あいにく俺の相手は来られなくてな」
「千明なら、まだ学校だろ!」
「千明は…学校にはいない。別の場所にいる。お前、千明に何をした?」
 
 雅紀が隆司を問い質す。 

「何もしてないぜ? 特に今日は何もしてない。指一本触れてない」
「本当か?」
 
 低いどすの利いた声で雅紀が隆司に念を押す。

「あぁ」
「じゃあどうして千明は、千明は自殺を図った? 自宅の風呂場で手首を切ったらしい」
「…らしいって。誰がそんなデマを…」
 
 アホなこと言うなと、隆司が半笑いで腫れた頬をさすっている。

「デマじゃない。救急車が自宅まで来て、千明を運んで行った。この目で見た。担架の上には白い顔の千明が乗っていた。デマでもジョークでもないんだ」
「…嘘だ」
 
 ポツリ、隆司が呟いた。

「嘘じゃない」
「嘘だ」
「事実だ」
「嘘だ―――っ!!!!!」
 
 家が揺れそうな大声で隆司が叫んだ。

「嘘じゃない。学校で、何があった?」
「千明はっ、千明は、生きてるよなっ?」
 
 雅紀の問など隆司の耳には入ってなかった。


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