人間未満 48人間未満目次

 
 学校に行くと、朝からリサのことが噂になっていた。
 退学したことが伝っており、女子を中心にそのことで話題は持ちきりだった。
 私立の進学校、しかもリサは寄付組だ。
 少々のことでは退学にはならないし、寄付組の自主退学も滅多にない。
 皆その理由に興味津々のようだ。

「産婦人科に入るとこ、見た子がいるらしいよ」
「へえ〜、ヤッパ、そっち系か」
「相手誰?」
「可能性あるのは…」
 
 皆が、隆司だと思っているようだ。
 口に出して名前を挙げないが、視線が隆司に集まっていた。

「うぜっ〜、何ヒソヒソやってんだよ。訊きたいことあるなら、訊けば?」
 
 机を蹴飛ばし、隆司が声をあげた。
「…別にないわよ」
 
 やっぱり、相手は戸田だ、と隆司の機嫌の悪さを理由に噂は真実だと結論付けられていた。
 ホームルームが始まったが、隆司にクラスの視線が集まっているのが千明にも分かった。
 自分に向けられた視線ではないのに、千明の身体は、無数の針が刺さったような痛みを感じていた。
 昼休み、隆司から声が掛かるのを千明は待っていた。
 リサの言ったことが虚言なら、今日も声が掛かるはずだ。 
 学年中に広がっている噂が真実でないなら、隆司はきっと千明を人気のない場所に連れ出すはずだと千明は祈るような気持ちだった。
 だが、今日に限って隆司は誘ってこなかった。
 昼休み、教室から出た隆司は午後の授業が始まるまで戻ってはこなかった。
 昨夜から、雅紀の電話・メールを無視している千明の携帯に何度も雅紀から連絡が入る。
 しかし、千明はそれどころではなかった。
 隆司から無視されている状態の中、自分の存在価値・理由が隆司の中から消えてしまう恐怖で、奴隷関係を維持するどころじゃなかった。
 結局、隆司から声を掛けらないまま、放課後になった。

「…隆司、あの…」
 
 午後課外のない隆司はホームルーム終了と同時に教室を出た。
 何かが千明の背中を押し、隆司に声を掛けさせた。

「はん? 千明か。なんだ?」
 
 なんだと言われても、千明は言葉が出てこなかった。
 真実を尋ねる勇気なんて千明にはない。
 だけど、呼び止めてしまった。

「…あの……」
「用もないのに、呼んだのか? 変なヤツ。あ、じゃあ、俺から言っとくわ。お前、もう用済みだから」
「…用済み?」
「言っている意味わかるよな? 便所はいらない。あいつと仲良くやってろ。じゃあな」

  …終わった。
 ……全てが終わった…
 隆司の姿が消えていく。
 千明の目には、隆司が去っていく後ろ姿が、だんだんと透けていくように映った。
 隆司と過ごした過去の楽しい時間が自分の中から消え失せていくのを感じた。

「ちょっと、中野、大丈夫? 顔真っ青。もうすぐ先生来るよ」
 
 廊下で立ったまま、無表情で真っ青な千明を心配した課外組の女子が声を掛けた。

「気分悪いの? ねぇ、中野、聞こえてる?」
「…、え、なんだっけ?」
「んもう、聴いてなかったの? 先生来るよ」
「…あ、そうだね、ゴメン、俺帰る…」
 
 課外授業なんて、もうどうでもよかった。
 隆司がいるからこの学校を選び、隆司がいるから、必死で特進クラスから落ちないようにやってきた。
 しかし、そのこと全てが意味のないことになってしまった。
 脱力感が千明を襲い、何故か笑いが込み上げてきた。
 声をあげて笑いながら歩く高校生の姿に、通りすがりの好奇の目が集まっていた。
 全てを失ったとき、耐えられない痛みと絶望感に襲われるのか思っていたが、現実は違った。
 友人に片想いをしたあげく、その父親と関係を持ち、終いには軽蔑されたまま、必要のない存在に成り下がった自分が滑稽だった。
 自分の馬鹿さが可笑しくて堪らなかった。


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