人間未満 47人間未満目次

 
 やっと課外が終わり、千明が帰宅の途についた時には、午後の七時を過ぎていた。
 すっかり外は暗い。
 課外授業中に見たリサと隆司の姿が目に焼き付いて、真っ直ぐ家に戻る気になれなかった千明は、ブラブラと街を歩いていた。

「中野、」
 
 背後から知っている声がした。

「ねえ、中野でしょう?」
 
 今度は肩を掴まれた。
 振り返ると、今一番会いたくない顔があった。

「…リサ、」
「あんた、こんな時間に何してんの? 塾?」
「…学校の帰り」
「今? あ、そっか。居残りしてた、してた。中間出来なかったんだ。隆司とはあんたとじゃ、頭の出来が違うってね」
 
 ずけずけと、本当のことを言う。

「じゃあ、」
 
 相手をする気にもなれず、リサから離れようとした。

「ちょっと、待ってよ。話があるんだ。明日にでも中野を呼び出そうと思ってたんだ。手間が省けた。ちょっと、付き合って」
 
 リサに仕切られ、千明はリサと一緒にファーストフードの店に入った。
 ドリンクだけ注文すると、二人で通りに面した席に座った。

「中野、教室からあたしと隆司のこと見てなかった?」
「…別に」
「どうでもいいけど、あたしと隆司、また付き合うことになったから」
「…俺に関係ないだろ」
「あるよ。悪いけど、消えてくれない? 目障りなんだ。中野、隆司のこと好きでしょ?」
「馬鹿なこと言うな。ただの友人だ」
 
 顔をあげず千明が答えた。

「あっそ。それならそれでいいけど、あたし学校辞めるんだ」
「辞める?」

  突拍子もない発言に千明が顔をあげた。

「もう、退学届け出した。妊娠してるから」 
 
 妊娠?
 リサが自分の下腹を愛おしげにさすった。

「隆司、ゴム付けるの嫌いだから…」 
 
 つまり…

「だから、隆司の前から消えてくれない? 中野が隆司を好きとかどうとか、気持ち悪い」
 
 隆司の子ども? 

「…嘘だ……」
 
 そんな話は信じられなかった。信じたくなかった。
 リサの虚言に違いない。

「お客様、申し訳ございませんが、閉店時間でございます」
 
 はっと我に返った時には、店内に千明以外の客はいなかった。

「…すみません…」
 
 慌てて、店を出ると、夜の街を千明は彷徨った。
 
 …絶対、嘘だ。リサの嫌がらせだ。隆司が、父親? 
 あり得ない…… あんな女の子どもの父親? 
 …信じない…絶対信じないっ!

「おい、こらっ、」
「…ごめんなさい」
 
 酔っぱらいにぶつかり、慌てて謝った。

「制服のガキが、こんな時間までウロウロしてんじゃねぇぞ…。兄ちゃん、可愛い顔してんな…」
 
 ふ〜っと、酒臭い息を吹きかけられた。

「…家に帰りたくないなら、おじさんとどっか行くかい?」
 
 酔っぱらいが、千明の手首を掴んだ。
 それを振り払うと、千明は走り出した。
 酔っぱらいから逃げる為というより、頭の中でこだまする、リサの『妊娠してるから』という言葉から逃げたくて、千明は駆けた。
 その夜、千明は雅紀からの電話もメールも全て無視した。 
 排泄行為は雅紀の指示がないと勝手にしては駄目な決まりだったが、初めてそれに背いた。
 雅紀の声を聴きたくなかった。
 聴けば、隆司のことを問いただしてしまう。 
 隆司がコンドームを着用するのを好きじゃないことは千明も知っている。
 リサの勝ち誇った顔と言葉が頭から離れようとはしなかった。
 一晩掛けて、自分はリサにからかわれただけだと、千明は自分に言い聞かせた。
 一睡もできないまま、千明は朝を迎えた。



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