人間未満 4人間未満目次



  …ハハ…
 ……もう…、無理だ…
 ……もう、隆司の側にいられない…
 …側にいれば、気付かれてしまう…もう、隠せない…
 …あんなところ、見てしまったら…あんなこと、聴いてしまったら……
 …ハハハ……、俺、もう…頑張れない…



「ねえ、君大丈夫?」
 
 目の前に真っ白いハンカチが差し出された。千明の足が止まる。

「笑いながら、泣いてるよ?」
 
 白い布地が千明の頬を滑った。

「ほら、ね」
 
 ハンカチに染み込んだ水分の跡を見せつけられた。

「顔色も悪い。真っ青だ。少し休んでいくかい?」
 
 その言葉で千明は顔をあげ、ハンカチで自分の涙を拭いてくれた声の主を見た。

「…りゅう……あの…」
 
 千明の目の前には、中年の男が立っていた。 
 隆司のことを考えていたからか、その男の顔が一瞬隆司に見えた。
 そんなわけない。
 どう若く見積もっても三十五は越えている。
 多分四十ぐらいだろう。

「具合悪そうだ。さっきから皆、君の事見てるよ?」
 
 男の言葉に周囲を見渡した。
 隆司から逃げたい、ただその一心で彷徨
(さまよ)っていた千明は、今いる場所が夜の繁華街だとも気付かないでいた。
 制服姿で、泣きながらふらふら歩く千明を、『なんだコイツ?』と、通りすがりの人々は一瞥していた。

「どうする? 少し休めば楽になると思うよ」
「おじさん、悪い人、それともいい人、どっち」
「君次第じゃない?」
 
 男が千明の肩を抱き寄せた。

「…俺、楽になりたい。何も考えたく…ない」
「行こうか」
「はい」
 
 言葉通りだった。
 隆司のことが頭から離れ、楽になれるなら、もうどうなっても良かった。
 ひと言でいうなら、同性相手の片思い、ただそれだけのことに、千明の精神は危うい綱渡りをしているような切羽詰まった状態だった。
 隆司が好きだという感情、隆司の彼女に対する激しい憎悪にも似た嫉妬、隆司が同性に理解がないどころか、嫌悪しているという現実、自分の気持ちを隠し通せなければ友人でさえいられないという脅威、その全てを忘れてしまいたかった。
 男に連れられ、ホテルに入った。
 ラブホテルの類だと思うが、受付がなくパネルで部屋を選ぶ以外、いかがわしさは一切なかった。



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