人間未満 29人間未満目次


 
「…もしかして、なんだよ。言えよっ」
「何でもない。リサの名誉の為にいっとくが、リサは頭はアホだが、変な趣味はないからな。ただ胸がデカイだけの女だから。ま、触り心地は最高だけど」
 
 どういうつもりかわからないが、隆司が一変して冗談っぽく答えた。
 内容は十分千明を傷つけるものだったが、この場をこれで終わりにしようという気が見て取れた。

「わりぃな、シャツのボタンとっちまった。どうせ、それ、もう血が落ちないと思うから、処分しろ。俺、シャツの予備買ってあるから、やるよ」
「…そんなの悪いよ…」
 
 詮索を突然止めた隆司が、上半身裸の千明の横に座る。 
 千明の肩に手を回し、自分の身体に引き寄せた。
 直に伝わる隆司の体温と匂いに千明の心は跳ね、目眩を覚えた。

「あのな、千明…、俺はお前の友達だからさぁ、何かあったら遠慮するな。いつも、助けてもらってるんだから、俺だって、お前を助けたいって思ってるんだ…マジだぜ。じゃあ、俺、帰るからさぁ、顔よく冷やしておけよ。あと、課外三日ぐらい休め。遅れた分は俺が教えてやるさ。はは、頭だけはイイのもらって生まれてきたからさ」
 
 じゃあまたな、と隆司は立ち上がり、千明の部屋を出て行った。
 …助けたことなんか、ないっ! 
 俺が隆司を助けたことなんかないじゃないかっ!
 …どうして、ここまで優しいんだよっ! 
 堕ちていくばかりの自分を自覚しいる千明に、隆司の優しさはただ辛いばかりだった。



 絶対、ゆるさねぇっ!
 千明の家を後にした隆司は、荒れていた。
 電信柱は蹴るは、小石は蹴飛ばすはで、通りすがりの人々から避けられていた。
 自分に本当のことを言わない千明も腹立たしいが、何より千明を傷つけた相手が気にいらなかった。
 隆司は、千明を顔の腫れと「まさき」が関係していると確信していた。 
 絶対尻尾を掴んでやると、見たこともない「まさき」に対して、心の中で宣戦布告をしていた。
 その日から、隆司は千明の観察を始めた。 
 顔の腫れが引き、学校に出てきた千明は、それまでにも増して様子がおかしい。
 まず、顔色だ。時折、何かを我慢しているような表情を浮かべる。
 うっすらと額に汗を掻いているときもある。いくら夏とはいえ、学校内は冷房が効いている。
 屋上や運動場が暑いのはわかるが、観察をしていると、授業中でも時折、苦悶の表情を浮かべている。
 次におかしいと思ったのが、トイレだ。
 千明がトイレに立つとなかなか戻ってこない。
 次の授業に間に合わないこともあった。
 その度に、教師の嫌味を浴びていた。
 不審に思い、千明の後を付けると、毎回個室に入る。最初は腹の調子が悪いのかと思った。
 しかし、それが毎度毎度になると、さすがに変だ。他の生徒が利用してないとき、こっそり千明が入った個室のドアに耳をあてた。
 ズボンを降ろす布地の音と共に、「…うっ…」と、声が聞こえる。
 あと布とはちがう小さな雑音も聞こえた。その後で、ようやく尿を足しているようだ。
 携帯で誰かと話しているのか、「終わりました」と小さな声も聞こえた。
 いちいち誰かに報告しているのだろうか?
 小便の報告か? そんな馬鹿な…
 相手は、「まさき」か?
 やってられね〜、と個室のドアを蹴飛ばして、自分だとバレる前に隆司は何食わぬ顔で教室へ戻った。



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