人間未満 25人間未満目次


 
「そう、千明はいい子だ」
 
 止めろっ、駄目だと、脳から指令が出ているのに、千明の手は震えながら雅紀に向かった。
 震える千明の指先を雅紀が掴むと、千明を床から引っ張り上げた。

「ここじゃ、危ないか…」
 
 雅紀がぼそっと呟くと、いつも二人で使っている和室に、戸惑う千明を引き摺っていった。
 部屋へ入るなり、千明はドンと畳の上に突き飛ばされた。

「千明、今日は悪い子だったね…」
 
 転がる千明の襟首を掴み、バシッと雅紀が千明の顔をはり倒す。雅紀の突然の仕打ちに、驚き声も出ない。
 頬を押さえ、豹変した雅紀を睨み付けた。

「反抗的な目はやめなさい」
 
 髪の毛を鷲掴みにしたまま、左右の頬を交互に何度も叩かれた。

「ヒィ、」
 
 折檻を受けている子どものように、何度も何度も何度もそれが来り返される。
 乾いた音が狭い部屋に響いた。

「逆らったら駄目だよ。今日からは千明は奴隷だから、私に逆らうとこういう目に遭うということを覚えておきなさい」
 
 こんなに激しく何度も叩かれた経験はない。
 父親との生活が短かった千明は、父親から殴られたこともない。
 肉親どころか、他人との殴り合いの喧嘩の記憶もない。
 やられる前に相手を隆司が片付けてくれていた。
 慣れない暴力行為に戦慄を覚え、千明は部屋の隅に逃げ込むと、畳の上に踞って震えだした。
 雅紀と同じ空間にいることさえも恐怖で、歯までガクガクと鳴った。
 口の中が切れて、垂れてきた鼻血も口内に入り込み、口中に鉄の味が広がった。 
 そんな千明をしょうがない子だと雅紀が鼻で笑い、片付けてあった布団を敷き始めた。

「千明、こっちに来なさい」
 
 雅紀の呼びかけに、千明は応えられなかった。恐怖で身体も言うことを聞かない。素直に行かないとまた殴られると、思えば思うほど、身体が硬直して動かない。顔を上げて、雅紀を見るのも恐かった。

「千明、今言ったばかりだろ? ここにおいで」
 
 それでも動かない千明に業を煮やした雅紀が近寄る。

「ヒィッ」
 
 雅紀が千明の肩に手を触れただけで、身体がビクッとしなり、しゃっくりのような声のない音が喉から漏れた。 

「千明は、私が恐いんだ。大丈夫、いい子には何もしないし、優しくするよ。奴隷は使い物にならないと意味がないからね」
 
 震える千明を上から包み込むように、雅紀が抱きしめた。

「いい子になるよね? 千明は私の奴隷として、生きていくんだ。分かった? 返事は?」 
 
 雅紀の体温を感じる。恐ろしい男の体温は蛇の体内を思わせた。
 …もう、飲み込まれてしまった…
 震えがまだ止まらない千明は、雅紀に分かるように、首だけで返事をした。

「よし、よし、じゃあ、奴隷に奉仕をしてもらおう…」


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