獣以上 9獣以上目次

「戸田部長?」

 社員に呼ばれ、ハッとする。
 雅紀は自分が滑稽で、通話の切れた受話器を耳に当てたまま、不気味に笑っていた。
 翌日、他の仕事の時間を調節し、ATへ着いた雅紀を出迎えたのは、幸司ではなく受付での足止めだった。
 場所さえ訊けば、自由に歩けるほどATへは出入りをしているが、何故か雅紀は受付で足止めされてしまった。
 受付嬢に、迎えを待つように指示されれば、勝手には出来ない。 
 出された緑茶に口を付けていると、リチャードが姿を見せた。

「戸田部長、お待ちしておりました」
 
 お待たせしましただろ、と思ったが、もちろんそんなことを大人が一々口に出さない。

「君が、出迎えに来てくれるとは思わなかったよ」
「幸司が、来ると思いました?」

 含みを持たせた言い方に、カチンと来る。
 この男は、幸司と俺の事を知っているのではないか? と、雅紀は感じた。

「いや。場所さえ知らせて頂ければ、手間を取らせずに済んだかなと。今までは通行証だけ渡されていましたよ」
「そうですね。その方が合理的だ」

 意図的に今回は足止めされた気がしてならない。
 社内を自由に歩かれたら困る事情があるかもしれない。
 トップが変れば、色々と方針も変るだろうし。
 地下から上がって来たエレベータ―が開き、リチャードと乗り込もうとした時、隣のエレベータ―が開き男が出て来た。
 チラッと姿が目に入っただけだが、その男は雅紀がよく知っている人間に似ていた。

『柴田さん? 』

 悪い遊び仲間の、柴田に見えた。
 どうして、彼がここに?
 柴田とATに繋がりはないはずだ。
 何故なら、柴田は既に会長職で現役を退いているし、薬品製造のATとは無縁のアパレルメーカーだ。

「戸田部長、どうかされました?」
「知人を見かけたような気が、…見間違いのようです」
「差し支えなければ、どなたか教えて頂けませんか?」
「ただの呑み友達ですよ。こちらに縁がある方とは思えませんので、他人のそら似でしょう」

 そら似にしては、似すぎているような気もしたが、有りえないだろ、と雅紀は深く考えるのを止めた。
 通常、役員の交代があったとしても、そうそう社風なり雰囲気が変るものではないが、ここは違うらしい。
 リチャードに幸司の執務室に案内されたが、途中目にする風景も働く従業員も前に来た時とは随分様変わりしていた。
 アメリカからかなりの移動があったことは既に聞かされていたが、ここまでとは思っていなかった。
 主要メンバーが入れ替わったとばかり思っていたら、違うらしい。
 日本人が殆どいない。
 耳に飛び込む会話も、英語ばかりだ。
 AT本社がアジア進出に本腰を入れてきたということだろう。

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