獣以上 8獣以上目次


「早く来いよ。一緒に寝たいんだろ? 薄着で突っ立ってたら風邪ひくぞ」
 
 時々、独り寝の寝室に訪ねて来る幸司を、雅紀が邪険に扱うことはなかった。
 どちらかと言えば、歓迎していた。
 布団を持ち上げ、雅紀が幸司を手招いてやると、幸司が照れ臭そうにはにかみながら、雅紀の横に入って行く。
 雅紀が冷えた身体を抱き締めてやると、恥ずかしそうに小声で「ありがとう、お父さん」と幸司が呟いた。
 幸司の髪から広がる子ども用のシャンプーの香りが雅紀の鼻腔を擽る。
 大人の女と寝ても決して味わうことのない、違う種類の体温と香り。
 別に自分に変な趣味があるとは思ってないが、血の繋がらない自分に、遠慮がちに甘えてくる幸司が雅紀には可愛かった。

「…お父さんは、お母さんと一緒に寝なくて、寂しくないの?」
「大人だからな」
「…僕だって…、お母さんが隆司と寝てても…寂しくないよ。お兄ちゃんだもん」
「でも、夢は怖いんだろ?」
「…ごめんなさい」 
「幸司、誰もお前を置いて行ったりしないぞ。安心しろ。ずっと俺はお前の側にいてやりたいと思っているから。血が繋がってなくても、俺は幸司のお父さんだろ?」
「隆司と同じぐらい、僕の事も好き?」
「もちろん。もしかしたら、隆司より、好きかも知れないぞ? 隆司は俺と一緒に寝ようとは言ってくれないけど、幸司は俺と一緒に寝たいと甘えてくれるからな」
「ホント? 本当に、僕の事も好き? 隆司より?」
 
 血の繋がりを気にしながらも不器用に自分に懐いてくる幸司には、実の息子の隆司とは違う可愛さがあった。

「ああ、本当に。でも、このことは、隆司とお母さんには内緒にしとけよ?」
「内緒?」
「俺と幸司の秘密にしておこう。お父さんと幸司が仲良くしている時、邪魔されたくないだろ? だから、安心して、お父さんに甘えておけよ?」
 
 この時の『仲良く』に変な意味合いはなかったが…数年後、二人の仲は、違う意味で邪魔されたくない関係に陥った。



 あの頃は、可愛いだけの子どもだったのに…、

「戸田部長、ATの戸田代表からお電話です」 

 まだ親子関係を保っていた頃の幸司を思い浮かべていると、他人面で突然現れた幸司からの電話だ。

「回してくれ」
 
 仕事の電話だと分っていても、何かを期待している自分がいる。

「お待たせしました。戸田です」
『先日は、ありがとうございました。出張帰りでのお疲れの所を申し訳ありませんでした』
「いえ、ATさんは大事なパートナーですから、お気遣いなく。今日は、どういったご用件で?」
『早速ですが、アジアルート進出の企画書が数本私の方へ上がってきています。プレゼンを明日にでも行いたいのですが。ご都合はいかがでしょう?』
「明日は…、」
 
 雅紀がスケジュール表を開く。
 既に分刻みで埋まっていた。

「大丈夫です。うちからは、私一人になりますが」
 
 スケジュールを無視した返事をする。

『戸田部長さえ出席していただければ。このプロジェクトは御社と共同となっていますが、実際、戸田部長とうちとのプロジェクトのようなものでしょう? そう、伺っていますが』
「はい、とは言えませんが、まあ、私が責任者なのは、間違いありませんね。明日の時間は?」
『プレゼンは午後三時。企画書のコピーは送信できませんので、少し早めにお越し願えますか?』
「二時半に伺います」
『よろしくお願いします。お会いできるのを楽しみにしています』
 
 楽しみにしている? 
 俺に会いたいと思っているのか、幸司?
 社交辞令だ。意味などない。
 だが、補佐役のリチャードではなく、直接に連絡をくれたのは、俺と話をしたかったからではないのか?
 違う。
 会いたいのも話したいのも幸司ではなく、自分の方だ。
 他の仕事をキャンセルしてまで、優先しようというのだ。

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