獣以上 2獣以上目次



 「あいつは一体どうしているんだか」
 
 らしくない。
 声に出した独り言に、雅紀は自嘲した。
 勝手に消息を絶った青年の顔が雅紀の頭には浮かんでいた。
 感傷に浸っている自分が滑稽だ。
 散々、幼気な少年を嬲ってきた男のくせに、と苦い笑いがこみ上げた。
 肌を刺す凍った空気のせいではなく、自分の元を去った少年の現在が幸せそうなので、涙をグッと堪えた目で、一方的に別れを告げた青年のことが気になるのだ。
 千明は、泣いた。
 何度も泣き叫いた。
 最初の出会いから、そうだった。
 深夜の繁華街を、泣きながら笑った少年が歩いていた。
 通りすがりの人間の視線を集めていることにも気付かず、歩いていた。
 気まぐれで声を掛けた俺に、千明は助けを求めてきた。
 胸の苦しみを楽にしてくれと。
 もっともそれが彼の大間違いの元だったのだが。

「…あいつも泣けば良かったんだ」

 感情をぶつけてくれれば、俺だって――
 俺だって、何だ? 
 俺があいつに何かしてやれたと言うつもりか。
 馬鹿馬鹿しい。
 頭の中から青年の顔と愚かな仮想を追い出す為に、雅紀は頭を激しく振った。
 意識して追い出すぐらいには、まだ自分は惚れているんだ、とその行為すら、滑稽だった。




「戸田部長、お疲れのところ申し訳ございませんが、AT社の日本代理店代表がお待ちです」
 
 ニューヨークでの商談を二本まとめ、成田からその足で社に戻ると、一服する間もなく、次の商談が雅紀を待ち構えていた。
 雅紀が勤めるのは、大手総合商社の本社事業部で北米対策室という部署だ。
 海外の製品の販売や製造のライセンス契約を結ぶのが主な仕事だ。
 ここ数ヶ月、雅紀が関わっているのは海外の化粧品メーカーとのライセンス交渉だ。
 まだ日本では販売されていない特許成分を扱っているメーカーや、セレブ御用達でメディアに登場していないメーカーとの交渉に当たっている。
 ニューヨークには製薬チームを引き連れていった。
 男性用の育毛シャンプーと、女性用のボディラインを補整下着のように整える効果が期待できるというマッサージクリームの、独占販売ライセンスを勝ち取って来た。
 景気に左右されないのが化粧品だ。
 どの時代でも美への追求は、顕在なのだ。

「AT社? アポイント入ってなかったと思うが?」
「なんでも、代表が新しく本社からの人間に替わったらしく、その挨拶だと」
「そうか。直ぐに顔を出す」

 雅紀はトイレで身嗜みのチェックをし、足早に商談用の応接室へと向った。

「お待たせしました」

 雅紀が応接室のドアを開けた

「お時間ありがとうございます」

 同時に、部屋の中にいた二人の人間が立ち上がり頭を下げた。
 顔が見えないが、まだ若い人間らしい。
 一人は日本人だが、一人は違うらしい。綺麗な金髪だ。
 雅紀も軽く会釈をし、二人の方へと進んだ。

「この度、AT日本代理店代表に就任しました、」 

 日本人の方が顔を上げながら、自己紹介を始めた。

「…君はっ、」

 雅紀が、目の前の顔に驚き見入った。
 自分の前から忽然と姿を消した青年が、一目で高級とわかるビジネススーツに身を包み、立っていた。

「戸田幸司と申します。偶然にも、戸田部長と同じ姓ですが。こちらは補佐のリチャード・安田です」

 顔色一つ変えず、淡々と自分と補佐の紹介をする目の前の青年。
 雅紀は自分の中に突然発生した嵐を必死で鎮めた。

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