嘘だろッ!1 嘘だろッ目次

 
「…燃えてる」
「ああ、燃えているな」
「…凄い」
「ああ、凄いよ」
「……この距離でも顔が熱い」
「ああ、熱いし煙いな」
「……灰になる」
「ならないように、消火活動してくれているようだ」
「…あれは俺のアパートに間違いないよな?」
「ああ、残念ながら間違いなく拓巳のアパートだ」
「…火事、か?」
「これだけ炎が上がり、火の粉が舞い、消防車が集まり、消防隊員が消火活動に励み、この数多
(あまた)な野次馬(やじうま)、どう考えても火事以外ないだろう」
「…俺の、…俺の…、俺の金ぇえええええっ!」
「拓巳
(たくみ)っ、よせっ……あぁあ、いっちまったよ」
 
 大学からの友人で会社でも同期の吉田中
(あたる)の声を無視し、俺は走った。
 真っ赤に燃え盛る木造二階建て、築四十年、冬でもゴキブリとのし烈な戦いを強いられていたボロアパートめがけ走った。

「君、危ないから」
「ウルサイッ、放してくれっ」
 
 消火活動中の消防隊員にあっけなく捕まったが、持てる全力
(ぜんちから)を振り絞り消防隊員の腕を振り払った。
 誰も俺を止めることなんか出来ないんだ、これぞ、火事場の馬鹿力と、信じられない状況下で何故か得意気になり、無敵のヒーローになったつもりで熱風が吹くアパートへ飛び込んだ……はずだった。

「だから、言わんこっちゃない。仕事増やすなっ」 
 
 消防車から延びるホースが、大蛇がうねるように無数這っていた。それらに見事、足を取られ、アパートへ駆け込む手前で、放水によりぬかるんだ地面へ、顔から突っ伏した。 
 先程の消防隊員が呆れ声と共に、倒れている俺の両足首を掴み腰に抱える。
 そのままズズズと俺の倒れた身体を、ドロドロの地面お構いなしに引き摺り始めた。

「放せ―――ッ、俺の金がっ、全財産がっ」
 
 右手を伸ばし、左手で地面を掴もうと泥に爪を立てるが、消防隊員の引っ張る力には勝てず、あっという間に野次馬席まで戻されてしまった。

「俺の、俺の……」
「拓巳、立て。ずっと、そのまま地面で寝転んでいるつもりか」
 
 吉田が俺の手を引っ張り上げようとした瞬間、『うおぅ』と野次馬から喚声が上がった。
 火には勝てなかった木造アパートが崩れたのだ。もう、アパートの片鱗はなかった。
 木造だけあって、火との相性が良すぎるのか、とことん燃え尽くすつもりらしい。

「……こんなこと、ありかよぅ」
 
 吉田が親切に顔の泥を拭えと、ハンカチを差し出してくれた。

「だから、金は銀行に預けろって忠告しただろう」
「あんなボロアパートに泥棒入らないだろう。銀行なんか利子より引き出し手数料が高い方が、多いじゃないか…銀行もサラ金も同じだッ。俺の親父がどれだけ銀行に泣かされたか、お前だって知ってるじゃないか…」 
 
 親父はメーカ下請けのネジ工場を経営していた。
 日本中がバブルで好景気の時、付き合いのある銀行から頼みもしないのに、『融資、融資、借りてくれ、借りてくれ』と、頼み込まれ、それならと工場を大きくしていった。
 しかし、バブルは所詮バブルだった。あっけなく泡は弾け、結果残ったのは大きな借金だけだった。
 バブル後の銀行の対応は冷たいものだった。
 銀行側から持ちかけた融資だったというのに、掌を返したように担保の土地も家も根刮(ねこそ)ぎ持っていかれた。 
 俺がまだ小学校に上がる前だったが、あの当時の切羽詰まった家の状況はよく覚えている。
 全て奪われた親父はそこで自暴自棄になることなく、新たにリサイクルショップをゼロから始め、なんなとか食いつないできた。
 痛い経験から我が家の家訓は『銀行を見たら泥棒と思え』だった。
 もちろん、リサイクルショップは現金取引のみ、貯まった現金は全て大きな瓶に入れ、庭に埋めている。
 俺が就職するときも、両親からの餞(はなむけ)の言葉が、『金は自分で守れ。銀行の甘い言葉に気を付けろ』だった。
 だから銀行振込の給与も、入った当日に引き落としの公共料金分以外は全て引き出し、ボーナスも全額引き出し、アパートの押し入れに隠していた木製の菓子箱に貯めていた。

「だからって、燃えちまったら、意味ないだろう。あぁあ、ありゃ家財道具から全て灰だ」 
 
 吉田と一緒の出張から二日ぶりに帰宅した俺を待ち受けていたのは、寝場所と、全財産…この二年間必死で貯めた三〇〇万の焼失という厳しい現実だった。

「それじゃあ、明日着ていくのがないのと同然だな。ほれ。今からスーツ買って、カプセルでも泊まれ。これ、俺からのお見舞い」
 
 この時の吉田中
(あたる)は気前が良かった。二つ折り財布から三万円をサッと取り出すと、俺の手に握らせた。

「ほらっ、しっかりしろ。焼け死んだわけじゃないんだ。仕事もある。営業二課、期待の星、久野拓巳
(くのたくみ)。これぐらい、乗り越えろ。じゃあ俺、他にも約束があるから」
「…おいっ、置いていくのかっ!」
 
 悪いな、と手を振り吉田中は颯爽と野次馬の中を消えていった。
 あいつ、本当に俺の友達だよな? 
 三万円を見ながらこういう時は金より一緒にいてくれる相手の方が有り難い。
 燃え屑となったアパートを背に今夜の寝床を求め歩き出した。



                 

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